近頃の若者は
近頃の若者は駄目だという考えは
ピラミッドを建造していた時代にはもうあったようで
時代や人種関係なくそう考える人は常に存在するようだ
ケースごとに考えてみる
1つめはオーソドックスに自己評価の高い人間が言っているケース
若いころの自分がもっと出来たという自信からくるもの
実際に上司が有能だったケースもここに該当する
2つめは文字通り駄目になっているケース
人間に限らず生物は必要とされる能力が伸びるものである
米俵の重さ60kgは大人なら誰でも運ぶことのできるから決まったなんて話もあるけど、
男である僕にも数m歩けるかどうか、非常に苦しい重量であることは間違いない
車を使うことで何百倍も効率的な輸送が可能になっているが、
当時の大人から見れば我々の多くは米俵すら運べない近頃の若者になる
3つめは時代の移り変わりに思考がついてこないケース
夏目漱石らが今のライトノベルのような評価を下されていたころからも
自分たちの考えと全く一致しない若者に対する僻みである
このケースの場合、何が駄目なのかを論理的に説明できない
4つめは若者は駄目だという認識が都合の良いケース
誰でも歳をとるが若者が使えるという認識を持たれると
地位が脅かされ食い扶持がなくなってしまう人間が発する例
仮に全員の年齢が二十歳前後で止まり若者という概念がなくなったとしても
4ケースとも若者という単語が別の単語に切り替わるだけのように見える